保険や生活に関するヒントが満載!
その道のプロに聞く
保険業界に少なからず関連している業界のプロに、その業界だからこそ見えてくる貴重な話を伺ってきました。
専業主婦から経営者となり2人の息子と1人の娘を育てた、日本の食文化を広めるため精力的に活動する「食育」のプロ。「石垣島ラー油」など、数々のおいしく身体にいい自然食品の仕掛人でもある。
その気になれば、やるべき道筋が見えてくる
- 食育に関する仕事はいつからされているのですか?
- 山本彌恵子(以下、山本)結婚をするまえは働いたことがなく、専業主婦をしていたのですが、ちょっと波乱万丈ありまして…。
これまでは、手工芸の講師をしたり、会社を立ち上げたりしてきました。最終的にたどり着いたのが食育に携わる仕事で、かれこれ26年くらいになります。 - 波乱万丈の部分が気になります。
- 山本話すと長くなってしまいますよ(笑)。今から40年前になりますが、次男がお腹にいるとき、手相の占い師に「5年後に女の子を生みますよ」と言われたんです。その5年後、産み分けもない時代に本当に娘が生まれて、「占いが当たった!」と驚きました。
また、占い師に「いずれ世帯主になり、“きれい”な物をきっかけに社会進出する」と言われたこともよく覚えています。実は娘が生まれたときに、夫が経営している会社が倒産し、何億円という借金を抱えてしまったんです。それをきっかけに別居をすることになり、私は本当に世帯主になってしまいました。 - 別居をきっかけに、食育に関する仕事をされたのですか?
- 山本いえいえ、食育に携わるようになったのは、まださきの話です。
当時の私は、夫の会社が何億円もの借金をかかえ、何かせずはいられませんでした。そんなある日、近所の小さな本屋で「デコパージュ(※)入門」という“きれい”な表紙の本を見つけて、「これだ!」と直感したんです。こんなときって、なぜか自分の問題を解決する本が見つかるんですよ。
それからすぐ、家中あちこちに隠していたへそくりをかき集め、デコパージュの教室に通いました。「きれいな物で社会進出する」という言葉が潜在意識に強くあったおかげか、これだと思ったことをひたすらやっていたら、いつのまにか講師として社会進出ができていたんです。
※紙や布に描かれた模様や絵を切り抜いて物の表面に張り、コーティング剤を塗り重ねて仕上げるヨーロッパ発祥の手工芸。 - 不安はありませんでしたか?
- 山本不安や迷いといった後ろ向きな意識に、目を向ける余裕はなかったですね。デコパージュの講師は4年半続けたのですが、そのとき、もっと広く社会に認められることをしたいと思い、講師仲間で会社を立ち上げたんです。
その会社では、温度で色の変わるインクで恐竜をプリントしたマグカップを博物館のお土産として販売したのですが、ちょうど恐竜ブームが来て大ヒットしたんです。恐竜マグカップは、ロンドンにある「大英博物館」でも販売されたんですよ。
仕事をすることが当たり前となり、借金もなくなったころでしょうか、やっと食育に関わるきっかけに出会うことになりました。長男がぜんそくだったこともあり、食育ジャーナリスト砂田登志子さんによる「子供たちが危ない」という内容の講演に行ったんです。そこで感銘を受け、再び図書館や本屋で、今自分に必要なものを探しました。当時は、今のようにインターネットや食育に関する学校もなかったので、本でひたすら勉強しましたね。 - 食育が興味から仕事へと変わった第一歩は何だったのでしょうか?
- 山本まずは砂田さん監修による、現代栄養学に基づいた食育の絵本を出版しました。子供たちに食べることに関して、正しい知識を持ってもらいたかったんです。
- 食育の絵本って、ちょっと難しそうですね。
- 山本そんなことはないですよ。子供ってうんちが好きですよね(笑)。ですから、「ピッカピカのうんち」や「悪いうんち」といった言葉を使い、歌やゲームを盛り込んだ、目で見て楽しめる絵本にしました。
絵本は3,000冊売れればヒットという時代でしたが、「好ききらいがなくなる絵本シリーズ」として3巻発行し、計30,000冊以上売ることができました。日本全国の図書館や幼稚園などに行きわたっていると思いますよ。 - それから食育一筋で活動されてきたのですか?
- 山本絵本を出したころ、講師仲間といっしょにやっていた会社と食育の活動が二足のわらじ状態で、離婚が重なったこともあり、自律神経を崩して倒れてしまいました。そこで、「食の現状を伝えなくては」という思いから、安定した会社は仲間に任せて、食育の道に専念することにしたんです。